昭和五十六年十月三十日 朝の御理解
御理解第十二節
神に合おうと思へば庭の口を外へ出て見よ空が神下が神
御理解第十三節
神は向う倍力の徳を授ける
御理解第十四節
神は荒地荒屋敷をお嫌いなさる
教祖様が頂かれた神様、感じられた神様は「神に会いたいと思えば庭の口へ出てみよ空が神下が神」とね。そういうなら神様をははあ金光教ではこの、天が地がそのまま神様だなあと分かっただけではなく、いよいよね、神はは向う倍力の徳を授けると仰せられますから一心を立ててその中、神様へ間違いのない焦点を置いて打ち込んでいくと云う事。
ね 行く程に成程神様だなあ、ところ分かるだけてはなくて、その神様をいよいよ頂く事が出ける。ね為には神は荒地荒屋敷をお嫌いなさると仰せられるのですから、これは勿論荒地荒屋敷という事でありましょうけれども、まず自分の心の心云うならば荒れた心。ねいうならお粗末であってはならないと云う事人間が。ね、そういう私は今日はこの御理解を三ヶ条読んで貰ってまあ感じるわけですけれどもね。
神様をただはあ成程金光教では空が神だなあ下が神だなあといわゆる天地が神だなあと云う事だけじゃなくて、その神様と一体になれる手立てが私は合楽理念だと、いわゆる天地人一如ところそれにはその神様へ向かってその打ち込んで行くというか、進んでいくというかね、ね 打ち向かえば打ち向かうただけ、いわゆる倍力の徳を授けるというのは勿論天地の徳です。ね そん為には神様に嫌われるものをまずは取り除かなければ、神様の中には入っていくという事はでけん。
いわゆる心の中に荒地荒屋敷があったんでは、ね、そこで心を整えて心を清め改まり、磨かせてもらうというような事がまあいるという事になるのです。今ここへすわらして頂きましたら、昨日これは幹三郎の字だと思いますけれども、ここにちょっと書いておる事がある。”神様頂きますという心、一切四方拝、人間が人間らしく助かっていける道”とこうある。人間が人間らしゆう助かっていける道、”それが金光教”今三ヶ条の御理解を説きましたがね、その三ヶ条の御理解も難しい事ではない。人間が人間らしゅう助かっていける道がその中にある。それをまあ簡潔にというか分かりやすく頂きよい誰でも頂けるように説いてあるのが合楽理念だと。
ね庭の口に出て見てはあこれが神様だなあとこう分かっただけじゃ仕方がない。その神様を頂くというか、その神様の中にこちらがは入って行くという一心を立てる。なら神様の中には入っていけれる天地人一如の世界という為には、神様とやはり同質のものでなからなければは入られない。
水と油が一所にならないように、神様が水ならやはりこちらも水の心という事になる。それを教祖は天地日月の心と大変難しく云うておられますけれども、その天地日月の心も合楽理念を持ってすると誰でも分かるように説いてある。問題はその気になって修業する事である。
それを簡潔にいうとです、神様頂きますと云う心あらばである。もうどんな自分の都合のよい事だけをね、頂きますじゃなくて都合の良こと悪い事一切を頂きますという心、これは食物訓にここのところは出てきますよね。神様頂きますという心あれば障る事ないとおっしゃる。ね、その頂きますという心を食物だけではない、事柄の上にも神様頂きますという、為にはですから一切四方拝なんである。四方拝と云うのはまあ元旦の事を云うのでしょうけれども、自分の周辺の一切を拝んでいくというのである。何故拝まなければならないかを合楽理念は説くのです。ね、しかもそれはね人間が人間らしゅう助かっていけれる道が合楽理念に説いてあるのです。こりぁ私共でもですね信心しよってそげなこつはとこう思うておったような事柄の中にでも、御事柄として頂く時にそれが生き生きとして有難くおかげになっていくのです。頂きますという心なんです。いわゆる御の字をつけて、全てのこういう事柄、こんな忌まわしい事と例えば思うておったような事でも御の字をつけて神様頂きますという心あらばそれが障わるとか、それが罪になるとか御無礼になるという事ぢゃないというわけなんです。
ね 今日は福岡の西地区のまあ分会のまた分会というような感じですよね。あのう伊藤さんの所のあそこで、くの一会というまあ何と言うでしょうかね変わった信心共励の場が、ちょうど一年まえにできました。もちろんくの一会というのはね、九の一というのは女忍者という事だそうですが、ね、くの一、修業の第一と、苦、ひらがなの苦を書いてノを書いて一と書くね。
くということは合楽では修業という。修業の第一はね変幻自在、自分の心を自由自在にあやつれれる、自由自在に有難い有難いで受けていけれる稽古をする人達が集まっておるです。もう不思議に変わった方達が集まるんです。いわゆる本当なものを知りたい求めたいという人達が集まるんです。そういう人たちが今日のいわば伊藤さん所の宅祭ですけれどもまあ、くの一会というそれを頂いて一年になる、そういうならば記念の一年祭を仕えて頂きたいというてくの一会のその中心になる方達が一生懸命でもう何日も前からいろんな御用やらいろんな意味でおかげを頂いておるということです。
今日は、私がそちらへお祭りの為に私共夫婦呼ばれ取りますから参ることになりますがね、いわゆるそのくの一会の内容というのが今ここに幹三郎だろうと思います書いておるこのことなんです。ね、一切どんなことであっても頂きますという心、一切四方拝ね、しかもそれは大変な難しいとても普通の人間技では出けるこっぢぁないと思われるような事が出ける。人間が人間らしゆう助かっていけれるその道を体得させて頂きつつ、今日までちょうど一年間が過ぎた。そのお礼のお祭りをさして頂くというわけでございます。
昨日の朝の御祈念に秋永文男先生の家内良江さんです。こりぁまあ私は先達ちょうど竹葉会の時でしたか正義先生の家内がこの前から今度の竹葉会から一所に参加さして頂きよる。丁度前に良江さんが座わっとる。それで各々発表する前に。もうあんたどんが場合だけは本当もうお父さんが信心について来にあおられんというので今の信心がけていきよるとぢぁんねというて申した事です。
ね、いうならば良江さんの場合でも、とにかく主人の信心についていかにぁおれないのです。これは正義先生が場合でもだんだんそういうことの傾向にあるように思います。本当にシンになるものの信心が出ける時についていかなきゃおれんのです。金光教の信心は、ね、例えば石田先生あたりがああして御夫婦で熱心に御参拝される。初めは奥さんの御信心であった。それも一心に参ってみえた。同時にだからね合楽的一つの感化というかだんだん変わっていかれるのを見られて先生僕も一緒に参ってみろうぢゃったろうと思うんです。ね、その参ってみろうがいよいよ参られる事になり、いよいよね沢山ないろいろな勉強もなさったけれども信心の勉強、こういう勉強は初めてというようないうならば、斬新さというかね、若い者でも勝たんような生き生きした心で神様に打ち向うて行かれる。
ね、いわゆるあの勢いというものが信心にいる。必ず倍力の徳を授けるとおっしゃるから頂けるです。昨日そうですねあのう文男先生が癌というふうにいわれたのがおかげ頂いた。そん時から一生懸命本気でお参りするようになった。そして今日まで日参が続いておる。なかなかですよね、福岡からですから。ね、昨日、昨日の朝あのうこんなお夢を頂きましたというてお届けを致しますのがね、ここに末永錦也先生という若い先生が居りますが、末永錦也先生が三米掘ったら合楽理念を掘り出したと言い寄る所ぢゃった。三米掘ったら合楽理念に掘りあてたです。そして次には、岩井良一君です。これは岩井先生の一人息子で親子でここで修業してます。まだ今中学校でしょうか。その良一君が僕は十三米掘ったら合楽資源を掘りあてたと云うとる所ぢゃった。十三米掘ったら合楽資源を掘りあてた。という。
皆さん例えば勿論これは末永錦也とか岩井良一なんかという。その名前からでも御理解は皆さんいよいよ御理解はようく考えてください。岩井というのはお祝いの祝というふうに頂いたらいいと思うですし、末永錦也というのはいわゆるまあこれは錦という字ですけれども、まあ、最近合楽で云われる金の徳というふうに頂いてもいいでしょうね。錦也君が三米掘ったら合楽理念を掘りあてたという。だから合楽理念のマスターということはさ程難しいことぢゃないわけなんだ。ね 合楽理念に基づく生き方というものを本当に合楽理念のマスターが出けて合楽理念に基づく生き方は云うならばその気になれば云うなら簡単に頂けるようになる。三米でよかね、けれどもね、合楽資源に、を掘りあてるということは十三米という。
十三といやここでは神願、神様の願が成就するという。神様が本当に私共一人一人の土に願うて下さる事はね、いま頂くおかげぢゃなくてもう限りない資源を掘りあててくれよと云うのです。信心しておかげ受けてくれよと云うのは、おまえの代よりも子の代、子の代よりも孫の代にも発展して繁盛していけるような資源を掘りあててくれよということ。これが神様の願い。十三、神の願いなんだ、ね 為にはね、私共の信心がいよいよ庭の口に出てみて神様がははあこれが神様だなあと分かっただけではなくてね。その神様のおかげを頂く、本当におかげを頂く、天地人一如の世界と思われるようなおかげを頂く為に神様が水の性ならこっちも水の姓にならうという精進をさしてもらう。本気で打ち込ませてもらえば神様はその倍力の徳を授けると仰せられる。ね為にはね、私共の心の中の荒地荒屋敷、神がお嫌いなさるとおっしゃる神様に嫌われるものを先ず取り除かせて頂く改まらして頂くという事が大事だということが分かりますね。
そこからなんです。ね いわゆる合楽資源を掘りあてるそれこそ神様の願いが成就する。神様の喜びは本当に私はまあいいようがないような喜びを神様が感じて下さるのではなかろうかと思います。合楽資源を掘りあてた。だから私は昨日その事を良江さんがここでお届けしますから、もう良江さん絶対そうばい。合楽の信心は頂いたら絶対このおかげが頂けるけん、ただ合楽理念をマスターした、位な事じゃなくて、どういう事があってもどういう場合であってもいよいよ自分を掘り下げていくという生き方以外にないばい。
そして合楽資源を掘りあてたというようなおかげを頂かにぁならんなあというてまあお話したことですけれどもね、最近そうして日参のおかげを頂くだけじぁなくてもうあのう度々のくの一会の研修がもう楽しいような信心をだんだん身につけて云っております。ねどんな場合であってもいわゆるそれこそ変幻自在、有難い有難いと答えを出していけるような信心を身につけさせて頂いてねどうでも一つ無限の世界、限りないおかげの世界に住みたい。云うならば合楽世界に住たい。この世あの世を通してそういう云うなら高い高度な信心を目指してお互信心をさして頂きたいですね どうぞ